NO.9「栄光への脱出」
<元気コメント>
キプロスを脱出するハンストの船中で少女が少年に世界を語る言葉、国連のパレスチナ分割を可決した放送を聞きながらイスラエルの指導者が今まで敵だったアラブへ語る言葉、アリが少女カレンの葬儀で世界に訴えるように語る言葉・・・生きる気力が萎えた時、この映画が叱ってくれました。
<あらすじ>
1947年の地中海キプロス島。当時キプロスにはイスラエルに帰ろうとするユダヤ人たちが英軍によって収容されていた。パレスチナを委任統治していた英国がアラブ諸国との紛争をさけるためにとった政策である。アメリカ女性、キティ・フリーモント(エヴァ・M・セント)はキプロスで死んだキャメラマンの夫の様子を探るため現地にやってきた。英軍司令官サザーランドが彼女に便宜をはかってくれた。収容所のユダヤ人たちの窮状をみた彼女は看護婦として、働くことにした。そこでユダヤの美少女カレンや17歳のユダヤ少年ドヴ・ランドーと彼女は知り合った。少女と少年は互いに愛情を抱いていた。その頃、1人のユダヤ人地下組織のリーダーがキプロスに潜入した。アリ・ベン・ケナン(ポール・ニューマン)である。元英軍将校だった彼の任務は、ユダヤ国家再建のためキプロスのユダヤ人たち2800名をエルサレムに送りこむことだった。軍服を利用して、彼は貨物船オリンピア号をエクソダス号と改名、ユダヤ人たちをのせて港を出ようとした。英軍はこれを知って停船を命じた。ユダヤ人たちはハンストをもって対抗した。美少女カレンを養女にしようとしたキティも、少女とともにこの船の中にいた。やがて世界の世論に負けた英軍はエクソダス号出港を許し、一行はハイファについた。カレンら少年少女はガガリーの丘にあるユダヤ人の「青春の村」におちついた。アリの父バラクや友好的なアラビア人ハタが一行を迎えた。バラクの弟アキバは戦闘的なユダヤ人地下組織のリーダーで、アリたちの平和主義者と対立していた。ドヴ・ランドー少年はこの一派に加わった。エルサレムでアリとめぐりあったキティは、彼に愛情を感じた。その頃アキバ1派は暴動をおこして英軍に捕らえられ、刑務所に入れられた。アリはアラブ諸国の妨害を排除するにはユダヤ人組織を統一するのが必要と考え、アキバたちを救出した。しかしアキバは彼の腕の中で死んだ。1947年11月、国連はパレスチナ分割を可決しユダヤ人の国イスラエル共和国が誕生した。が、そのことは同時にユダヤ人とアラブ諸国の争いが本格化することを意味していた。元ナチ将校フォン・ストークに指揮されたアラブ人たちはユダヤ人地区を襲撃しハタを殺した。アリは少年少女を「青春の村」から脱出させ戦闘体制をととのえた。カレンが銃弾に倒れたが、ユダヤ人たちは屈しなかった。今はアリと行を共にする決心をしたキティも銃をとった。(goo映画案内より)
<データ>「栄光への脱出」
製作:1960年 アメリカ ユナイテッド・アーチスツ配給
監督:オットー・プレミンジャー(Otto Preminger)
出演:ポール・ニューマン(Paul Newman)・・・アリ・ベン・カナン
エヴァ・マリー・セイント(Eva Marie Saint)・・・キティ・フレモント
ラルフ・リチャードソン(Ralph Richardson)・・・サザーランド将軍
リー・J・コッブ(Lee J. Cobb)・・・バラク・ベン・カナン-入植者。アリ・ベン・カナンの兄。「ガン・ダフネ」の村長
サル・ミネオ(Sal Mineo)・・・ドヴ・ランダウ-過激派
ジル・ハワース(Jill Haworth)・・・カレン・ハンセン -パレスチナに一人で移住してきた少女。ハンセンは養父母の姓
・ユダヤ人国家イスラエルの建国物語とでもいうべき70ミリ作品。レオン・ユーリスの原作小説を「ポギーとベス」のオットープレミンジャーが製作・監督。シナリオを書いたのは「スパルタカス」のダルトン・トランボ。撮影を担当したのは「カルメン(1954)」のサム・リーヴィット。音楽はアーネスト・ゴールド。タイトル・デザインをソウル・バスが受けもっている。出演するのは「北北西に進路を取れ」のエヴァ・マリー・セイント、「熱いトタン屋根の猫」のポール・ニューマン、サル・ミネオなど。
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原作:EXUDS(エクソダス 栄光への脱出) 著:レオン・ユリス 訳:犬養道子 河出書房新社(現在は在庫品無し)
参考:脚本・ダルトン・トランボ(Dalton Trumbo)
1905〜1976年 アメリカ出身 「ハリウッド・テン」で「赤狩り」された脚本家。しかし破格に才能があったため、ゴーストライターとしてとか、別な作家名義でたくさんの優秀な作品を作った。
【主要作品と略歴】
コロラド大学を卒業後、雑誌記者、編集者を経て映画のシナリオを書き始める。
1939年、反戦小説の『ジョニーは戦場へ行った』を発表、「発禁処分」を受ける。
1947年、3月に「トルーマン・ドクトリン」発表され、 いわゆる「赤狩り」が盛んになり始め、
同年、10月に非米活動委員会の第一回聴聞会があり、これに返答拒否して「議会侮辱罪」に問われ、
1950年、最高裁判所で罪は確定、トランボたち10名は投獄された(禁固一年)(→「ハリウッド・テン」と呼ばれる)
1953年、『ローマの休日』(「イアン・マクラレン・ハンター」名義→但し実在の人物でゴーストライティング)、
. 同年、同上の作品でアカデミー脚本賞、
1957年、『黒い牡牛』を「ロバート・リッチ」名義でアカデミー脚本賞、名も素性も隠して、土木作業員として現場で肉体労働をしていた。
一本7万5千ドルの地位から、週給50ドルの肉体労働へ。
チャップリンらと共に欧州では受け容れ先があったのにそれを拒否した。
「作家名は追放できても。俺の才能までは追放できなかった!」と妻に豪語。
一方、アカデミー協会は、この年をもって原作賞を廃止。
1960年、『栄光への脱出』から実名で復帰。
1960年、『スパルタカス』
1962年、『脱獄』
1965年、『いそしぎ』
1966年、『ハワイ』
1968年、『フィクサー』
1971年、『ジョニーは戦場へ行った』(32年前の自作を自ら監督)
1973年、『ダラスの熱い日』
1973年、『パピヨン』(スティーブ・マックィーン、ダスティン・ホフマンと共にこのフランクリン・J・シャフナー作品に俳優としてフランスの刑務所長役で出演)
1976年、71歳にて死去
(はてなダイヤリー等より引用)
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