NO.117「け」のつく元気になった邦画2
<元気コメント>
人情というのは好きな言葉です。
特に頭がかたいと思われている方が、何気なく見せる人情が好きです。
いい人情は、安らぎを与え元気にしてくれます。
<あらすじ>
東北地方の田舎町の警察署。
署には頑固な石割署長、金子主任、赤沼主任、人情家の吉井巡査、純情な花川巡査、剣道自慢の署長の相手役藪田巡査、倉持巡査等がいる。
刑事部屋は毎日様々の人で大にぎわいで、今も窃盗容疑の桃代、神社荒しの容疑者お人好の岩太が取調べを受けている。
駅前では戦争で子供達を失くしてから頭の変な村田老人が交通整理中である。
ある日吉井巡査は六つ位のユキコと赤ん坊の姉弟の捨子を発見した・・・
<データ>
「警察日記」

製作:1955年 日活
監督:久松静児 ヒサマツセイジ
原作:伊藤永之介 イトウエイノスケ 「警察日記
出演:三島雅夫 ミシママサオ (石割署長)
森繁久彌 モリシゲヒサヤ (吉井巡査)
十朱久雄 トアケヒサオ (赤沼主任)
織田政雄 オダマサオ (金子主任)
殿山泰司 トノヤマタイジ (倉持巡査)
解説:日活入社第一回の坂上静翁の製作になるもので、伊藤永之介の原作を「女人の館」の井手俊郎が脚色し、「喜劇 駅前温泉」
の久松静児が監督に当る。撮影は「壮烈神風特攻隊」の姫田真佐久。
出演者は日活初出演の森繁久彌、「飢餓海峡」
の三國連太郎、「近松物語」
の十朱久雄、「忠臣蔵(1954)」の三島雅夫のほか杉村春子、織田政雄、小田切みき、伊藤雄之助、東野英治郎、沢村貞子、飯田蝶子など「喜劇 駅前温泉」:奥の温泉場にデラックス・ホテルが建って以来駅前温泉は寂れるばかり。観光協会の対策理事会で誠実なサービスが肝心である論と、時代に合ったセンスの論がぶつかる
「飢餓海峡」:昭和22年9月20日。十号台風の最中に北海道岩内で凶悪事件が発生。質店の一家三人が惨殺され、犯人は放火後姿をくらましたのだ。そして折からの台風のため嵐となった海で青函連絡船沈没の惨事が起きた。嵐の海は巨体をのみ船客532名の生命を奪った。死体収容にあたった函館警察の弓坂刑事は、引き取り手もなく船客名簿にもない二つの死体に疑惑を感じたことから質店一家殺しの犯人の糸口を掴む
「近松物語」:近松門左衛門の浄瑠璃「大経師昔暦」を脚色。京の大店の妻・おさんは、実家から金の工面の相談を受けるが、吝嗇な夫に頼る事も出来ず、手代の茂兵衛に事の次第を打ち明ける
★HDDレコーダー売れ筋★
<「警察日記」と言えば>
★吉井巡査役の森繁 久彌(もりしげ ひさや)
本名:同じ(旧姓:菅沼久彌)(1913年5月4日 - )は、日本の俳優。大阪府枚方蔵の谷(現・枚方市)出身。森繁事務所所属。森繁久弥と表記されることもある。
通称:爺、爺や、モリシゲ、シゲさん。血液型はB型。身長171cm、体重78kg。
(早稲田大学演劇部)
旧制第二高校教員、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)、大阪電燈株式會社等の重役職を経て、後に実業家となった父・菅沼達吉(1858?−1915?)と、大きな海産物問屋の娘であった母との間にできた3人兄弟の末っ子。
江戸時代には江戸の大目付だった名門の出身だった。
しかし、久彌が2歳の時、父が死去。母方の実家も、いろいろと子細、経緯等があって、馬詰姓から森繁姓となった。
長男は馬詰家を継ぎ、次男はそのまま菅沼家を継ぎ、3男・久彌は森繁家を継ぐ事となり、名字も森繁となる。
堂島尋常高等小学校、旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院(現・早稲田大学高等学院)を経て、1934年に早稲田大学商学部へ進学。
在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉や山本薩夫とともに活躍、この頃に萬壽子夫人(当時、東京女子大学の学生)と知り合う。
その後、山本たちが左翼活動で大学を追われてからは部の中心的な存在となり、アマチュア劇団に加わって築地小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演したりした。
(日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を)
1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。
長兄の紹介で東京宝塚(現・東宝)新劇団へ入団。
その後は日本劇場の舞台進行係を振り出しに、東宝新劇団、東宝劇団、古川緑波一座と劇団を渡り歩く。
下積み時代は馬の足などしか役がつかず、また日劇で藤山一郎ショーの舞台進行をつとめた時、藤山に頼み込んで通行人の警官役で舞台に立つもまったくうけなかった等、辛酸をなめたが、緑波一座では座長の古川緑波に認められ、またそこでは盟友となる山茶花究と出会う。
(NHKのアナウンサー試験に合格)
1937年に一座を退座、1939年にNHKのアナウンサー試験に合格して満洲に渡り、満州電信電話株式會社の放送局に勤務。
満洲映画協会の映画のナレーションなどを手がけ、甘粕正彦とも交流があった。
また、満州巡業に来た5代目古今亭志ん生や6代目三遊亭圓生らとも親交を結び、この頃、新京の劇団に所属していた芦田伸介と知り合う。
アナウンサーになったきっかけは「徴兵制度を避ける為に、海外へ赴任できる当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書に記している。
その一方で、川一本を隔てたソ連軍に対する謀略放送を行ったり(見つかれば確実に生きて帰れないほど接近したこともあったという)、蘭花特別攻撃隊(B29に体当たり攻撃を行う航空隊。本土での「震天隊」に相当)のための歌「空に咲く」の作詞も行っている。
1945年8月に敗戦を新京で迎え、ソビエト連邦軍に連行されるなどして苦労の末、1946年11月に帰国した。
(『ビング・クロスビー・ショー』にならった『愉快な仲間』)
戦後も劇団を渡り歩き、この間の1947年に衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画初出演する。
1949年に再建したばかりの新宿のムーラン・ルージュに入団、演技だけではなくアドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在で、次第に注目をあつめる。
1950年にNHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』にならった『愉快な仲間』を放送、メインをつとめる藤山一郎の相手役のコメディアンとして抜擢されたことからムーランを退団。
『愉快な仲間』は二人のコンビネーションが人気を呼び、3年近く続く人気番組となり、この放送がきっかけで映画や舞台に次々と声がかかり、一躍人気タレントとなった。
(『腰抜け二刀流』で映画初主演)
同じ年に新東宝で『腰抜け二刀流』で映画初主演。
1952年に源氏鶏太原作のサラリーマン喜劇で河村黎吉が主演した『三等重役』に要領のいい人事課長役で助演、本作は好評を博して、のちに河村が急逝したこともあって、森繁が社長役として主演の『社長』シリーズ
へと発展する。また1953年にはマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに二枚目半の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死をとげるまで大活躍する。
1955年に豊田四郎監督の『夫婦善哉』
に淡島千景とともに主演、この映画での演技は、それまで数々の映画に出演して次第に確立していった森繁の名声を決定的なものにした。また同年、日活で久松静児監督の『警察日記』にも田舎の人情警官を演じ、これも代表作のひとつとなる。
これにより単なるコメディアンから実力派俳優へと転進する。
向田邦子が本格的な放送作家となるきっかけを作った人物でもある。
「社長漫遊記」:昭和37年に開通した若戸大橋の全容を空撮などを駆使してダイナミックに見せ話題となった一編。欧米視察を終えた太陽ペイント社長・堂本。すっかりアメリカかぶれした堂本に周りはあきれ始め…。
「夫婦善哉」:踏まれても蹴られても、愛に生き、愛に縋る男女の赤裸々な姿を描く、豊田四郎の名作!
(「向田邦子の恋文」、「久弥の独り言」)
『知床旅情』でシンガーソングライターとしてもデビューしている。『森繁自伝』
で日本文芸家協会の推薦を受け、会員となった。 泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。
日本俳優連合名誉会長。社団法人「あゆみの箱」会長。
岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもあり、同館へ寄贈した文章は達筆過ぎて判読に時間がかかるらしい。
老年に入ってからは、整えられた白い口ひげと顎ひげを蓄えている。
近年は年齢/体力的なこともあり、2004年正月放送の「向田邦子の恋文」を最後に俳優活動を行っていない。
また90年代以降、恒例であった芸能関係者の葬式での弔辞も、2004年1月の坂本朝一元・NHK会長での弔辞を最後に行っていない。
これは加齢の為、声が聞き取り難くなっていることからだと思われる(元々クセのある聞き取りづらい声である)。
2007年2月23日に「最後の作品」と銘打った朗読DVD「霜夜狸(しもよだぬき)」が発売された。
これは1991年に舞台用に録音されながらも、お蔵入りになった作品を元に新たに編集したものである。
他に、現代社会への憂いを込めた「久弥の独り言」も収録されている(これは元々森繁自身が録音する予定だったが、声が弱っていることから、親交の深い竹脇無我が代読したものである。
この作品を以って、戦前からの俳優生活に事実上ピリオドが打たれることになった。
とはいえ、今も天気の良い日は散歩や観劇に出かけ、食欲も旺盛でフォアグラやステーキを平らげ、ホットブランデーを愛飲するなど元気な日々を送っている(関係者談)。また、「体は思うように動きませんが、心は現役」というコメントも発表された。
1986年、早稲田大学の卒業式に記念講演の講師として招かれた際、大学から卒業証書を受け、正式に卒業を認められた。
「知床旅情」:森繁久彌/しれとこ旅情
「森繁自伝」:NHKアナウンサーなどを経て映画・舞台・テレビに大活躍した森繁久彌の奈落から花道まで…昭和芸能史の華、素顔の自画像
(「徹子の部屋」放送中に突然徹子の胸を触り)
久彌という名前は、父が大実業家・岩崎久彌と深い親交を持っていた事に由来する。
幕末の奥儒者・成島柳北は大叔父にあたる。
記念すべき「徹子の部屋」第1回放送分のゲスト(1976年2月)であるが、放送中に突然徹子の胸を触り(台本だとは思われるが)、ちょっとしたハプニングシーンとなった。
この時の映像は、バラエティー番組で「徹子の部屋」第1回放送シーンが流れる度に使われる。
黒柳徹子によると、会う度に「1回どう?」と聞かれるらしい。
NHKで放映された、過去の落語家・漫才師・芸人などを独断と偏見で評価しまくる番組内で、7代目立川談志が「最高の喜劇役者は森繁久彌ですよ!」と珍しく絶賛していた。
竹脇無我の父、竹脇昌作とはアナウンサー時代からの親友で、竹脇無我は、森繁と自殺した父の姿がだぶることから彼を「オヤジ」と呼び慕っている。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<映画クイズ>
▼今回「警察日記」の中で
もぐり周旋屋に身売りされかけた二田アヤが、お世話になった花川巡査へ渡した手紙へ入っていたのは?
▲前回「グリーン・カード」の中で
INSとは?
正解
米国入国管理局
◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
↓NO.116「グリーン・カード」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【なんだか久々に感動】
ラストシーンが何とも言えませんでした。
なんだか久々に映画に感動してしまいました。(ソバージュ)
☆☆ソバージュさん、お便りありがとうございました。
これからも貴方の感動の映画を教えてください。
またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)
◇◇貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい
↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【マリモさんのオススメ「グラディエーター」】
ラッセル・クロウがとても好きになった作品でした。(マリモ)
☆☆マリモさん、お便りありがとうございました。
ラッセル・クロウ出演の他の作品でもおススメがありましたら教えて下さい。
またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)
<データ>
「グラディエーター」
(Gladiator)製作:2000年 アメリカ UIP配給
監督:Ridley Scott リドリー・スコット
出演:Russell Crowe ラッセル・クロウ (Maximus)
Joaquin Phoenix ホアキン・フェニックス (Commodus)
Connie Nielsen コニー・ニールセン (Lucilla)
Oliver Reed オリヴァー・リード (Proximo)
Richard Harris リチャード・ハリス (Marcus Aurelius)
解説:ローマ帝国の時代、将軍から剣闘士となった男の数奇な運命を描いた史劇スペクタクル大作。
監督は「G.I.ジェーン」
のリドリー・スコット。脚本は「アミスタッド」のデイヴィッド・フランゾーニ(原案も)と「永遠の愛に生きて」のウィリアム・ニコルソン、ジョン・ローガン。
撮影はスコット製作のTVシリーズ『ハンガー』(V)のジョン・マシソン。
音楽は「プリンス・オブ・エジプト」のハンス・ヅィマー。
出演は「インサイダー」
のラッセル・クロウ、「8mm」のホアキン・フェニックス、「ミッション・トゥ・マーズ」のコニー・ニールセン、「アミスタッド」のジャイモン・ハンスゥ、「バロン」のオリヴァー・リード(撮影終了直前に急死し、本作が遺作となった)、「許されざる者」のリチャード・ハリスほか「G.I.ジェーン」:不屈の女将校が、米海軍特殊部隊SEALの地獄のサバイバル訓練に挑む。スキンヘッドも辞さぬデミの熱演も語り草となった
「インサイダー」:アメリカの実在の事件を元に登場人物・団体も全て実名という衝撃の問題作
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