NO.151「は」のつく元気になった邦画2
<元気コメント>
人間、常に笑顔で、とにかくくよくよしないことが元気の秘訣だそうだ。
加えて災い転じて福となすとなれば、もう怖いものはない。
<あらすじ>
文久2年(1862年)の江戸に隣接する品川宿。
お大尽を装って遊郭旅籠の相模屋で豪遊した佐平次は、金がないのを若衆に打ち明けると居残りと称して相模屋に長居を決め込み、下働きから女郎衆や遊郭に出入りする人々のトラブル解決に至るまで八面六臂の活躍をし、果てはこの旅籠に逗留する攘夷派の志士たちとも渡り合う。
様々な出来事の末に佐平次は体調を悪くするが、それでもなお「首が飛んでも動いてみせまさぁ」と豪語するのだった・・
<データ>
「
幕末太陽傳」製作:1957年 日活
監督:川島雄三
出演:フランキー堺 居残り佐平次
左幸子 女郎おそめ
南田洋子 女郎こはる
石原裕次郎 高杉晋作
芦川いづみ 女中おひさ
市村俊幸 杢兵衛大盡
金子信雄 相模屋楼主伝兵衛
山岡久乃 女房お辰
梅野泰靖 息子徳三郎
織田政雄 番頭善八
岡田真澄 若衆喜助
解説:日活映画、川島雄三監督、フランキー堺主演により昭和32年(1957年)7月14日に封切られた日本映画である。
ストーリーはオリジナルだが、落語『居残り佐平次』(
(三遊亭圓生(六代目)/六代目三遊亭圓生 その1(『居残り佐平次』を収録)から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。会社の看板スターを脇役扱いにしたことや、幻となったラストシーン(後述)など逸話も多く、50年前の時代劇映画であるにもかかわらず常に若い観客の熱狂的な支持を得るカルト映画でもあり、平成11年(1999年)にキネマ旬報が行った「オールタイムベスト100日本映画編」では5位に入賞するなど、日本映画史上最高傑作のひとつに挙げられる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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<「幕末太陽傳」と言えば>
★製作の経緯
作品の冒頭に「日活製作再開三周年記念」という文字が表示される。
戦時中の企業整備令(昭和17年(1942年))によって大都映画、新興キネマと合併し大映となっていた日活が、昭和28年(1953年)に大映から脱退して独立し、翌昭和29年(1954年)に調布の日活撮影所が竣工して製作再開してから3年目という意味である。
新生した日活は、技術部門を東宝から、監督部門を松竹大船撮影所から主に引き抜き、この三周年記念映画を任された川島雄三もまた松竹大船からの移籍組(他に西河克己、鈴木清順、今村昌平などがいる)である。
日活は当初文芸映画や新国劇との合作を主としていたが、昭和31年(1956年)に『
太陽の季節』を大ヒットさせると、石原裕次郎という新時代のスターが主演する若者向けの映画会社へと変貌を遂げていた。しかし、この映画によって登場した太陽族に対する世間の風当たりは強く、日活内部でも「太陽族映画」を拒否する傾向が強かった。
そんな中で川島の提出した脚本はまさしく幕末の太陽族を意識させずにはおかないものであり、以後映画が完成するまでの間、川島と日活上層部との軋轢は絶えなかったという。
また、3周年を記念する大作が古典落語をつなぎあわせた喜劇映画であったこと、石原裕次郎などスター俳優を脇に回して軽喜劇で人気を博していたフランキー堺を主役に据えたこと、品川宿のセット予算など制作費の問題で会社と現場との間で軋轢があったこと、そして川島がかねてから抱いていた待遇の不満などが積み重なり、結局川島はこの映画を最後に日活から東京映画へと移籍することになった。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
【川島雄三監督の映画】
★監督川島雄三
青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)生まれ。
青森県立野辺地中学校(現青森県立野辺地高等学校)卒業。
明治大学専門部文芸科卒業後、松竹大船監督部に入社。
島津保次郎、吉村公三郎、小津安二郎、野村弘将、木下惠介らの助監督を経て、1944年、監督昇進試験主席合格ののち織田作之助原作の『還って来た男』で監督デビュー。
戦後はプログラム・ピクチュアを量産する。
1954年、日活へ移籍。
『洲崎パラダイス 赤信号』『幕末太陽傳』などの傑作を残す。
1957年、東宝系の東京映画へ移籍。
かたわら大映でメガホンを取った『女は二度生まれる』『
雁の寺』『しとやかな獣』の三作品で若尾文子と組み、後年高い評価を得る作品を残す。趣味はカメラで映画関係者、男優、女優らとミノックスの愛好会「ミノムシ・クラブ」を主宰。
監督昇進の頃から、筋萎縮性側索硬化症に冒され歩行等に障害を有していた。
遺作『イチかバチか』公開の5日前に芝の日活アパートの自室にて急死。
直接の死因は肺性心。享年45。
墓所はむつ市新町の徳玄寺。監督作品51本、待機作(急逝により未完)3本
(『幕末太陽傳』のラストシーン)
『幕末太陽傳』のラストシーンは、主人公が江戸時代のセットから外に出て、撮影所内を超えて、さらに現在の町中に走り出すというのが原案で、この設定以外ではやらないと言い出すが、フランキー堺やスタッフなどから、意味がわからない、実際には無理、と説得されて、現存のラストシーンとなった。
ただ、フランキー堺は後に、後から考えると監督の言う通りにしておけば良かったと語っている。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<映画クイズ>
▲今回「幕末太陽傳」の中で
フランキー堺こと居残り佐平次が、石原裕次郎こと高杉晋作から預かって直そうとした物は?
(正解は次回)
▼前回「ハートブレイク・リッジ」の中で
トム・ハイウェイ(クリント・イーストウッド)が率いる第二海兵隊偵察小隊が実戦で出動した先は?
正解 グレナダ
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【この作品は(今川さん)】
とても好きでした。
一匹狼ぶりは、クリント・イーストウッドの当たり役ダーティ・ハリーを想像してしまいますが、中高年組の頑張りが特に好きです。(今川)
☆☆今川さん、お便りありがとうございました。
「一匹狼ぶり」とは正にぴったりの表現ですね。
またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)
↓NO.150「ハートブレイク・リッジ」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【ミドルの魅力(リンダさん)】
鍛え上げられたミドルの魅力ですね。
軍事訓練と実戦により鍛えられたと思いますが、メンタルな強さがなんとも言えないのです。(リンダ)
☆☆リンダさん、お便りありがとうございました。
今時の日本では中々こういう体験はできないでしょうね。
またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)
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(今回はオススメ映画のお便りはございません)



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