NO.131「た」のつく元気になった洋画2
<元気コメント>
自然の猛威と人間の作った巨大な機構の狭間に呑み込まれそうになりながらも、
システムには置き換えることができない人と人の情が支えていく。
<><あらすじ>
アメリカ中西部地方を襲った30年来の猛吹雪のため、リンカーン国際空港は痛烈な打撃をうけていた。
空港のジェネラル・マネージャーのベーカースフェルド(バート・ランカスター)は、トランス・グローバル航空旅客係のタニア(ジーン・セバーグ)の援助をうけ、空港の機能維持のため狂奔していた。
このとき着陸に失敗した大型ジェット旅客機が主要滑走路に胴体を横たえてしまった。
この致命的な事故の処理を、ベーカースフェルドは、トランス・ワールド航空の保安係主任パトローニ(ジョージ・ケネディ)に依頼した・・・
(goo映画案内より一部引用)
<データ>
「
大空港」(Airport)製作:1970年 アメリカ ユニヴァーサル配給
監督:George Seaton ジョージ・シートン
原作:Arthur Hailey アーサー・ヘイリー 「大空港
出演:Burt Lancaster バート・ランカスター (Bakersfeld)
Dean Martin ディーン・マーティン (Demorest)
Jean Seberg ジーン・セバーグ (Tanya)
Jacqueline Bisset ジャクリーン・ビセット (Gwen)
George Kennedy ジョージ・ケネディ (Patroni)
解説:猛吹雪の国際空港と旅客機の中でくりひろげられる人間模様と恐怖のアクシデント。
製作は「
モダンミリー」のロス・ハンター。アーサー・ヘイリーの原作を「
三十四丁目の奇跡(1947)」「
喝采」のシナリオで2度のオスカーに輝くジョージ・シートンが脚色。撮影は「
愚か者の船」のアーネスト・ラズロ、美術はアレクサンダー・ゴリッツェンとE・プレストン・エイムズ、セット装飾はジャック・D・ムーアとミッキー・S・マイケルズ、音楽を「
キャメロット」の故アルフレッド・ニューマン、衣装を「
イヴの総て」でオスカーを得たイーディス・ヘッドがそれぞれ担当。出演は「
泳ぐひと」のバート・ランカスター、「
七人の愚連隊」ディーン・マーティン、「
悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグ、「
ミネハハ 秘密の森の少女たち」のジャクリーン・ビセット、「
暴力脱獄」のジョージ・ケネディ、「
追想」のヘレン・ヘイズ、「駅馬車(1965)」のヴァン・ヘフリン、「経験(1969)」のバーバラ・ヘイル、「白昼の死刑台」のダナ・ウィンター、それに舞台の名優バリー・ネルソン、モーリン・スティプルトン****************************************
【コラム:映画を楽しむ4】
昨年が
ゲゲゲの鬼太郎映画化されて評判を呼びました。
先日、友達に会ったら
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を持っていました。
どうやら静かな”妖怪ブーム”のようです。
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<「大空港」と言えば>
★主演バート・ランカスター
(Burt Lancaster, 1913年11月2日 - 1994年10月20日)は米国の映画俳優、映画プロデューサー。
ニューヨーク生まれで、本名は Burton Stephen Lancaster。
五人兄弟の四男として生まれるが、父は郵便局員だったが週給はわずか48ドルという貧しい家庭に育ち、雪かきや靴磨き、新聞の売り子をして家計を助けていた。
子供の頃から読書が好きで、映画はルドルフ・ヴァレンティノかダグラス・フェアバンクスのファンで、特にフェアバンクスの冒険活劇には熱中し、1920年にフェアバンクスの『奇傑ゾロ』が近くの劇場にかかった時は真っ先に切符売場に並んで食い入るように見たという。
デイヴィッド・クリントン・ハイスクール時代は体育部に属しバスケットボールの選手として活躍、その奨学金を得てニューヨーク大学に進学した。
当初は体育教師を志して勉強に励んでいたが、退屈な授業に嫌気がさして2年で中退、幼馴染でボクサーのニック・クラヴァットとラング・クラヴァートというアクロバットチームを組みサーカスに入団し、空中アクロバットの花形として活躍した。
1939年、セントルイスで興行中にランカスターが指を負傷したためチームは解散。
(軍の慰問団の一員となって慰問ショー)
その後はモデル、消防士、ウェイターなどの職を転々としながら暮らしていたが、折からの第二次世界大戦のため1942年にアメリカ海軍に一兵卒として入隊。
北アフリカ、オーストリア、イタリアなどで戦い、軍の慰問団の一員となって慰問ショーの演出や出演をこなした。
【バート・ランカスター】
(1946年ヘミングウェイの短編映画化『殺人者』で映画俳優デビュー)
除隊後はニューヨークに戻り、たまたまある舞台のプロデューサーと出会ったことがきっかけで、1945年に『A Sound of Hunting』でブロードウェイで舞台デビューを果たす。
しかし好評を得たものの舞台は3週間で打ち切り。
その後、製作者のハル・B・ウォリスと知り合い、パラマウント社と契約して、1946年、ユニヴァーサル社の独立プロデューサーのマーク・へリンジャーに貸し出しされた、アーネスト・ヘミングウェイの短編を映画化である『殺人者』で映画俳優としてデビュー、主演ではなかったがストーリーに重要な役柄のため鮮烈な印象を残し、たちまちスター俳優の仲間入りとなる。
その後はフィルム・ノワールを中心に活躍。
しかし、次第にハリウッドの映画製作に疑問を感じるようになっていたそんな頃、1947年に初舞台の際、共演した友人のサム・レヴィーンの紹介でハリウッドの映画製作者ハロルド・ヘクトと知り合う。
(俳優兼製作者の先駆け)
この出会いがきっかけで1948年にハロルド・ヘクトと組んで独立プロ・ヘクト=ランカスター・プロを設立、ワーナー映画と契約して、フェアバンクスの冒険活劇を彷彿させるような『怪傑ダルド』『真紅の盗賊』などのアクション映画でヒットを飛ばし、アクションスターとして人気を博す。
1953年にはベストセラー小説の映画化『
地上より永遠に』に出演。
この作品でアカデミー主演男優賞に初ノミネートされただけでなく、浜辺でのデボラ・カーとの情熱的なラブ・シーンは映画史に残る名場面となった。
またゲーリー・クーパーを招いたアクション西部劇『ベラクルス』(1954)ではニヒルな悪役を演じて主演のクーパーを喰ってしまうほどの存在感を示す。
その後、ジェームズ・ヒルが製作チームに加わり、アクション映画だけでなく、1955年にはテレビ・ドラマを映画化で低予算で製作した『マーティ』がアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞を受賞し大ヒットとなった。
この収益で1956年には大予算の娯楽作『空中ぶらんこ』を製作した。
さらにはニューヨークのコラムニストの実態を描いた『成功の甘き香り』(1957)を製作・主演、このように娯楽性と芸術性を併せ持った映画の製作も、批評家から賞賛をあび大きな成功を収め、1950年代にハリウッドで流行った俳優兼製作者の先駆けとなった。
(カーク・ダグラスと友人)
俳優兼製作者として同時期に活躍したカーク・ダグラスとは友人で、史実を元にした1957年の『
OK牧場の決闘』では実在したワイアット・アープとドク・ホリデイ役で共演した。
1960年、ヘクト・ヒル・ランカスター・プロは財政的な理由から倒産するが、ランカスター自身は俳優としても役柄を広げ、同年には偽伝道師を演じた『
エルマー・ガントリー』で初のアカデミー主演男優賞を手にする。
翌1961年の『明日なき十代』では、監督のジョン・フランケンハイマーと意気投合し、実在した終身刑に処された鳥類学者を演じてオスカーにノミネートされた『終身犯』(1961)、ダグラスと再び共演した政治サスペンス『五月の七日間』(1963)、ナチスから名画の奪還を試みるレジスタンスの活躍を描いた『大列車作戦』(1964)、スカイダイバーたちの恋と友情を描いた『さすらいの大空』(1969)の5本の映画で一緒に仕事をした。
(ヨーロッパ映画で重用)
また60年代中頃から70年代全般にかけてはヨーロッパ映画で重用され、芸術的、美術的な名作に多数主演。
ルキノ・ヴィスコンティは1963年の『
山猫』や1975年の『家族の肖像』に、ルイ・マルは『アトランティック・シティ』(1980)、ベルナルド・ベルトルッチは『1900年』(1976)にランカスターを招き、ランカスターも期待に応え重厚な名演を披露した。
1968年の『泳ぐひと』では友人のプールを泳ぎながら自宅を目指す男を演じ、映画はアメリカン・ニューシネマの一本として支持を得た。
1970年のオールスター・キャストのパニック映画『大空港』では旅客機墜落の危機に直面した空港長を演じて往年のタフガイぶりを披露。
映画もその年最大のヒットを記録した。
(反戦主義者)
また反戦主義者であったことから政治活動にも積極的に参加、『ワイルド・アパッチ』(1972)、『ダラスの熱い日』(1973)、『
合衆国最後の日』(1977)などインディアン問題、人種差別、政治の腐敗などのメッセージ性の高い作品を製作または自ら出演した『家族の肖像』以降は、映画界の重鎮的な老優として存在感を発揮。大作の主演のみではなく、TVやB級作品、ミニシアター的な低予算映画においての脇役、娯楽作品での悪役など幅広く出演。
『カサンドラ・クロス』(1976年)、『ドクター・モローの島』(1977年)での怪演が知られる。
(1991年テレビ映画『裁かれた壁〜アメリカ・平等への闘い』が遺作)
1980年に心臓発作を起こし病気がちになってからは出演作は急激に減ってしまったが、それでも精力的に俳優活動を続け晩年まで息の長いキャリアで幅広い層のファンに親しまれた。
1981年に入るとテレビ出演が多くなるも、『Cattle Annie and Little Britches』では撮影中に心臓発作に襲われたが、奇跡的に回復して映画は無事完成。
回復後も精力的に俳優活動を続け、1983年の『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』、1989年の『フィールド・オブ・ドリームス』では物語の鍵を握るミステリアスな老人役に扮し、登場シーンは少ないものの印象を残す。
1991年にシドニー・ポワチエと共演したテレビ映画『裁かれた壁〜アメリカ・平等への闘い』が遺作となり、1994年に心臓麻痺が原因でこの世を去った。
三度の結婚歴があり、戦線で知り合った二度目の妻ノーマ・マリー・アンダーソンとの間にアンダーソンの連れ子を含め5人の子供の子宝に恵まれる。
次男のウィリアムは脚本家として大ヒット作『がんばれ!ベアーズ』(1976)を手掛け、次女のジョアンナは製作者としてベット・ミドラー主演の『殺したい女』(1987)などを手掛けるなど、父親顔負けの活躍をする。
<映画クイズ>
▲今回「大空港」の中で
ヘレン・ヘイズが扮した密航常習の老婦人の名前は?
(正解は次回)
▼前回「それから」の中で
「美千代」は誰の妹?
正解
親友・菅沼の妹
◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
↓NO.130「それから」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【優作が主演していたなんて(優作が好き)】
夏目漱石の原作は知っていました。
松田優作ファンなので出演映画は全部見ているつもりでした。
でも、この作品は知らなかったです。嬉しかった・・・(優作が好き)
☆☆優作が好きさん、お便りありがとうございました。
ありますね。ファンなのに知らなかった出演映画があることって。
松田優作の出演映画でお気に入り作品がございましたらまたお便りして下さい。(映画で元気)
◇◇貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい
↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【クラッシャーさんのオススメ「その男、凶暴につき」】
とにかく強烈なイメージだった。確かにこの男ただものではないと思った(クラッシャー)
☆☆クラッシャーさん、お便りありがとうございました。
当初、深作欣治監督、ビートたけし主演で企画が進められていたが、双方のスケジュールが折り合わず、急遽たけしがメガホンをとることになった作品と聞いています。
またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)
<データ>
「
その男、凶暴につき 」
製作:1989年 日本 松竹富士配給
監督:北野武 キタノタケシ
出演:ビートたけし ビートタケシ (我妻諒介)
白竜 ハクリュウ (清弘)
川上麻衣子 カワカミマイコ (灯)
佐野史郎 サノシロウ (吉成新署長)
芦川誠 アシカワマコト (菊地刑事)
解説:麻薬組織に仲間を殺され、妹までも犯された一匹狼の暴力刑事が、狂気にも似た怒りにまかせて単身敵組織に戦いを挑んでいく…。
ビートたけし監督の衝撃的なデビュー作品。
過激なまでに生々しい暴力が全編を支配しているが、たけしの巧みな演出により、暴力でしか自分を表現することができない主人公のどうしようもない虚無感が見事に描き出されている

選べる人気スイーツ&りんどうの鉢「福寿盃」(烏骨鶏かすていら)
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