NO.72「も」のつく元気になった洋画「燃えよドラゴン」
<元気コメント>
気分がスカッとすることも元気になることに通じるようです。
ただ、映画を見た後思わず手足を振り回したくなるのには困りもの。
<あらすじ>
陰謀うず巻く国際都市香港から、南シナ海にうかぶ要寒島ハンで開かれる大武術トーナメントへの招待状が世界中の武術の名人にあてて送り出された。
ロサンゼルスに住む黒人のカラテの名手ウィリアムス(ジム・ケリー)、同じくサンフランシスコのローパー(ジョン・サクソン)もその招待状を手に香港へ向かった。
その頃、香港に近い田舎で中国人ばかりのカラテの試合が行なわれていた。
優勝者は少林寺で仏の道と武術を勉強中のリー(ブルース・リー)という若者だった。
早速彼は、秘密情報局のブレースウェートから、要寒島での武術トーナメントに出場するよう要請されるが、武術で名を挙げるよりも無名のままの修道を望むリーはそれを断わった。
しかし・・・
<データ>
「燃えよドラゴン」
(Enter The Dragon)製作:1973年 アメリカ ワーナー映画配給
監督:Robert Clouse ロバート・クローズ
出演:Bruce Lee 李小龍 (Lee)
John Saxon ジョン・サクソン (Roper)
Jim Kelly ジム・ケリー (Williams)
Ahna Capri アーナ・カプリ (Tania)
Bob Wall ボブ・ウォール (Oharra)
参考:少林寺拳法を武器に強大な悪に対決するスーパーヒーローの活躍を描く。
主演は"空手映画"ブームをまき起こし、これを最後に世を去ったブルース・リー。
製作はフレッド・ワイントローブ、ポール・ヘラー、レイモンド・チョウ、監督はスチール・カメラマン出身のロバート・クローズ、脚本はマイケル・アリン、撮影はギルバート・ハッブス、音楽はラロ・シフリン、編集はカート・ハーシュラーとジョー・ウッターズが各々担当。
出演はブルース・リー、ジョン・サクソン、アーナ・カプリ、ジム・ケリー、ボブ・ウォール、シーキエン、アンジェラ・マオ・イン、ベティ・チュンなど(goo映画案内より)
<「燃えよドラゴン」と言えば>
★ブルース・リー 李 小龍(リー・シャオロン, 広東語:Lei Siulung)
本名: 李 振藩(広東語:L? Zhenf?n)は、アメリカ・サンフランシスコ生まれの中国人俳優である。
截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。
(サンフランシスコで生まれ)
中国系の父親 李海泉とドイツ系の母親グレースを両親に生まれる。弟はロバート。
映画には芸名の李小龍で出演している。
香港の舞台俳優(広東劇)である父李海泉の公演先であったアメリカ・サンフランシスコで生まれる。
生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで作られた『金門女』という中国映画に出演した。
その後香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。
幼少より、中国武術(大陸では武術、台湾等では国術(國術)とも呼ばれる。
海外では空手或いは拳法と誤認されることがあり、カンフーとも呼ばれる)の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)から手ほどきを受け、中国武術を身につける。
少年の頃、通っていた道場にはバスで通っていて、いつも皆より早く行き、バス停で他の生徒を待ち、「今日も休みだ。」と嘘をつき、自分と先生だけで練習をしたという逸話がある。
また北派少林拳の邵漢生にも指導を受けている。
(ジークンドー)
かつて、香港では、喧嘩が法律で禁じられていた。
しかし、当時でも珍しい中国服を着用していたことから街で目立ち、気性の荒い青年時代の彼は、「何ジロジロ見てるんだ」と難癖をつけて、毎日のように喧嘩沙汰を起こしていた。
その後、18歳で単身渡米し、シアトルに移る。
高校卒業資格を得てワシントン大学で勉学に励むかたわら、生活費及び学費を稼ぐために自らの道場を開き指導を始める。
同大学にて、哲学の講師もしていた。
その頃同じ大学の医学生で、道場で指導をしていたリンダ・エメリーと結婚。
その後大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do / JKD〈ジークンドー〉)を創始。
(トップスター)
その後、アメリカにおける空手トーナメントの場においてJKDの演武をおこなう。
それがTVプロデューサーの目を引き、1966年にTVシリーズ『グリーン・ホーネット』
で準主役に抜擢。運転手のお仕着せに目だけを隠すマスク(そのマスクはその後キルビルでカトーマスクと呼ばれることになる)を付けた日系人のカトー役を演じ、人気を博したのをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などでゲスト出演を重ねる。
カトー役のイメージが強いのか『グリーン・ホーネット』を観ていた世代を中心に、アメリカではブルース・リーのことを日本人だと思っている人達が少なくない。
『グリーン・ホーネット』の後、米国の連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』の企画を作成し、自ら主演する予定であったが、東洋人であることなどが理由で主演することができなかった(主人公の混血児ケインを演じたのはD・キャラダイン)。
1970年に香港の映画会社ゴールデンハーベスト社のレイモンド・チョウ(鄒文懐)と契約し、『ドラゴン怒りの鉄拳』
など3本の映画に主演。香港の歴代興行記録を塗り替え、トップスターになり、1973年、ハリウッドとの合作映画『燃えよドラゴン』に主演。
『燃えよドラゴン』の中に出てくる台詞「Don't Think. Feel !(考えるな、感じろ。)」は、ジークンドーのコンセプトを語る上で、インタビューの際度々引用された。
『燃えよドラゴン』のOPパートはリー自身が監督している。
『グリーン・ホーネット』:昼は新聞社の青年社長、夜は助手のカトーと組んで悪を倒す神出鬼没の仕事人グリーン・ホーネットの活躍を描くアクション。3話から構成された迫力のカンフー・スタイルの勧善懲悪活劇。ブルース・リーの記念すべきアメリカTV番組進出第1作
『ドラゴン怒りの鉄拳』:1900年初頭、日本帝国主義が横行している上海を舞台に、道場をつぶされ恩師を殺された青年が単身日本人武術家一派に立ち向かう
(死去)
シアトル市内にあるブルース・リー親子の墓
香港に建立されたブルース・リーの銅像1973年7月20日、『死亡遊戯』で共演する予定だった女優ベティ・ティンペイ(丁珮) の香港の自宅にて頭痛を訴え鎮痛剤(アスピリン)を飲んで横になったが、その後レイモンド・チョウ(鄒文懐)が異変に気づき、医師を呼んでクィーン・エリザベス病院へ担ぎ込まれたが、その後医師により死亡が確認された。
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)であるが、リーの死因には様々な都市伝説がある。
司法解剖の結果微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していた事が判明している。
リーは同年5月にも同様の症状を訴えており、死因は長年背中の古傷に使っていた痛み止めとその晩に服用した頭痛薬の副作用と言われている。
直前に完成した本人待望のハリウッド主演作『燃えよドラゴン』公開を目前にして32歳の若さで急逝であった。
遺体はシアトルダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬される。
日本での『燃えよドラゴン』の公開は1973年12月22日、日本でブルース・リーの人気が急上昇するが、既にブルース・リーはこの世の人ではなかった。
その後、『ドラゴン危機一発』をはじめとする映画が公開されていったのである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
★「ドラゴン ブルース・リー物語」
(Dragon The Bruce Lee Story)製作:1993年 アメリカ ユニヴァーサル映画=UIP配給
監督:Rob Cohen ロブ・コーエン
原作:Linda Lee Cadwell リンダ・リー・キャドウェル
出演:Jason Scott Lee ジェーソン・スコット・リー (Bruce Lee)
Lauren Holly ローレン・ホリー (Linda Lee)
Robert Wagner ロバート・ワグナー (Bill Krieger)
Michael Learned マイケル・ラーンド (Vivian Emery)
Nancy Kwan ナンシー・クワン (Gussie Yang)
世界に名高いアクション・スター、ブルース・リーの人間像に迫る伝記映画。
1940年11月27日サンフランシスコに生まれ、香港で育ち、己の恐怖心に勝つためにカンフーを学び小さなドラゴンと呼ばれた。
18歳でアメリカに渡り、不安や偏見の障害を克服した青春時代を送り、仕事上での不遇時代を経て、武道家としてTVから映画へと進み活躍する。
爆発的ヒットとなる「燃えよドラゴン」の公開を控え急死。
この偉大な武術家の足跡と共に、一人のアメリカ人女性を愛し続けた、知られざる人生のドラマがここに存在する
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【2/7(水)思い出の映画です】
私も迷っていたことがありましたが、この映画を見てからずいぶん心が落ち着いたように思うのです。
でも、今はまた別の問題が・・・あ、これはよけいなことでしたね。(仮名 草薙)
☆草薙さん、お便りありがとうございました。
そのままとはいかないにしても、私自身もずいぶん映画によって元気付けられたことがありました。
またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)
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↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【世田谷中込さんのオススメ「モスラ」】
元気になったというより古きよき時代の思い出です。
映画の中でモスラによって東京タワーが倒れされてしまう場面があるのですが、この映画を見て都内へ東京タワーを見学するのを楽しみにしていた子供が「モスラがこわしちゃったからもうないよー」と泣きべそをかいていました。(世田谷 中込)
☆☆世田谷の中込さん、お便りありがとうございました。
まだ映画公開当時は特撮があまり知られていなかったのですね。
ほのぼのとしたいいお話ありがとうございまし。
またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)
「モスラ」

製作:1961年 日本 東宝配給
監督:本多猪四郎 ホンダイシロウ
原作:中村真一郎 ナカムラシンイチロウ
福永武彦 フクナガタケヒコ
堀田善衛 ホッタヨシエ
出演:フランキー堺 フランキーサカイ (福田善一郎)
小泉博 コイズミヒロシ (中条信一)
香川京子 カガワキョウコ (花村ミチ)
田山雅充 タヤママサミツ (中条信二)
伊藤ユミ イトウユミ (小美人)
伊藤エミ イトウエミ (小美人)
解説:中村真一郎・福永武彦・堀田善衛の原作を、「泣きとうござんす」の関沢新一が脚色し、「ガス人間第一号」の本多猪四郎が監督した特撮映画。
東宝が初めてカラー・シネスコで製作した怪獣映画の名作。
南太平洋を航行中の第二玄洋丸は、突発的に発生したA型台風にまこまれて沈没した。
船員のうち四人が、放射能の墓場といわれたロリシカ国の水爆実験海域のインファント島で奇跡的に救助され、帰国した。
が、意外にも四人は放射汚染症状が全く見られなかった。
日東新聞の社会部記者・福田善一郎は、女カメラマンの花村を連れて、核センターに原田原子力博士を訪ねた。
船員の一人から無人島と思われたインファント島に原住民が生きていること、さらに原住民が飲ませてくれた赤い汁により、放射能障害はおろか普通以上の体力を取り戻せたことを聞き出した・・・


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