NO.13「ガンジー」
<元気コメント>
非暴力、断食、暴力を恐れない行動等、不正に対しては身を削ってでも信念を貫くという人間の理想を追い求める姿に感動し、生きることの喜びを与えてくれました。
<あらすじ>
南アフリカ、1893年。皮膚の浅黒い一人の青年紳士が列車の一等車に乗っていたため放り出された。この人種差別に、青年は激しい怒りを覚えた。青年の名はモハンダス・K・ガンジー(ベン・キングズレー)。ロンドンで学んだ彼は、インド人商社の顧問弁護士として南アフリカのダーバンへ渡って来たのだ。彼はインド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱
する。そんな彼を支援するイギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)と、取材にあたる『ニューヨーク・タイムズ』の記者ウォーカー(マーティン・シーン)。ガンジーは暴力をいっさい用いずに闘うことを信条とし、"生涯禁欲"の誓いを立て、アシュラム(共同農園)を建設。彼の差別反対闘争にインド人労働者たちも次第に結束し始めた。1915年ボンベイに戻ったガンジーはインド国民から英雄として迎えられた。当時、インドの指導的立場にある人々は、イギリスからの独立を願っており、彼らの中には、後に首相となるネール(ロシャン・セス)もいた。ガンジーはイギリス支配下にある祖国をつぶさに見て歩き、チャンパランという寒村では、小作人の権利を守るため地主と闘い逮捕された。イギリスは言論、思想、集会の自由を抑圧した法律を第一次大戦後のインドに適用したため、ガンジーは1919年4月6日を全国民の祈りと断食の日とし、ストライキを呼びかけた。ガンジーは逮捕されたが、今や"マハトマ(偉大なる魂)"と呼ばれ、全国民の精神的支柱となった彼を裁判にかけることは不可能だった。だが、この騒動の際中に、イギリスのダイヤー将軍(エドワード・フォックス)率いる軍隊が、アムリツァールの公園で集会中の群衆に発砲し1516人の死傷者を出すという事件が起こった。2年後、ガンジーは、英国製の衣類を焼くように呼びかけるなどイギリスに抵抗するが、国民のイギリスに対する不満は、流血の暴動となって現われた。これを嘆いたガンジーは断食で無言の説得を行ない鎮静させる。その直後ガンジーはイギリスに対する非協力で逮捕され、6年の刑で投獄された。だが、判事のブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)は、ガンジーに同情的だった。数年後、ガンジーは、イギリス人が独占していた製塩事業に対抗するため、民衆と共にダンディーの海岸へ向けて"塩の大行進"を決行。インド人による製塩所を設立したが、軌道に乗った頃にイギリス軍に取り上げられ、無抵抗の民衆は容赦なく殴打され、ガンジーは逮捕された。1931年、釈放されたガンジーはアーウィン卿(ジョン・ギールグッド)と交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席したが、独立は勝ち取れなかった。やがて第二次大戦が勃発。戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容された。その彼を、『ライフ』の女性記者バーク=ホワイト(キャンディス・バーゲン)がカメラに撮り続けた。独立を目前にしたインドだったが、回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、1947年8月、アリ・ジンナー(A・パダムゼ)を指導者としてパキスタンを建国。そのため、国境を中心として両教徒の間で衝突が激化、内戦状態になった。これを悲しんだガンジーは、カルカッタで断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功した。1948年1月30日。マハトマ・ガンジーは、デリーで夕べの祈りをしている時、ヒンズー教極右派のヴィナヤク・N・ゴードセーによって暗殺された。時にガンジー78歳。葬儀には250万を越える人々が集まり、遺灰は聖なるガンジス川に流された。(goo映画案内より)
<データ>
「ガンジー」(GANDHI)
製作:1992年 イギリス・インド コロンビア配給
監督:リチャード・アッテンボロー(Richard Attenborough)
出演:ベン・キングズレー(Ben Kingsley)−マハトマ・ガンジー
キャンディス・バーゲン(Candice Bergen)−マーガレット
エドワード・フォックス(Edward Fox )−ダイヤー将軍
ジョン・ギールグッド(John Gielgud)−アーウィン卿
トレヴァー・ハワード(Trevor Howard)−ブルームフィールド判事
ジョン・ミルズ(John Mills)ー総督
マーティン・シーン(Martin Sheen)−ウォーカー
・ インド独立運動の指導者"偉大なる魂"マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯を描く。製作・監督は「マジック」のリチャード・アッテンボロー、エキュゼクティヴ・プロデューサーはマイケル・スタンレー・エヴァンス、脚本はジョン・ブライレー、撮影はビリー・ウィリアムスとロニー・テイラー、音楽は「大地のうた」他、サタジット・レイ監督とのコンビで知られるインドの代表的音楽家ラヴィ・シャンカール。イーストマンカラー、シネスコサイズ
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参考:ガンジー
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー
(Mohandas Karamchand Gandhi、1869年10月2日 - 1948年1月30日)
マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、宗教家、政治指導者。「マハトマ(マハートマー)」は「偉大なる魂」の意味の尊称である。カースト制度の最下層である「不可触民」の制度の撤廃でも知られる。日本では、メディアを中心に「ガンジー」と呼ばれるが、正確には「ガンディー(ガーンディー)」である。 また1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、本人が固辞したため、受賞には至っていない。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
参考:非暴力の思想
ガンジーの哲学、サティーヤとアヒンサーの思想は、『バガヴァッド・ギーター』、ヒンドゥー教、ジャイナ教、そしてレオ・トルストイの平和主義(「神の国は汝のうちにあり」)に影響されている。非暴力(アヒンサー)という概念はインド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の伝統において何度もよみがえった。自らの思想と生き方を、ガンジーは自伝 (『ガンジー自伝』原題 The Story of My Experients with Truth) の中で語り、「『目には目を』が全世界を盲目にしている」と述べた。こうした信条を実行に移すとき、彼は極限まで論理的につきつめることを辞さなかった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
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<NO.12「学校」について>
【私も夜間中学、高校とお世話になりました】
「この映画は私にとってはそのまま青春時代の思い出につながっているものでした。私も夜間中学、さらには夜間の高校−定時制高校と言う方が馴染み深いかもしれませんが−で学びました。日本人以外の方、世代の異なった方など、実社会以上に多く方と知り合い学び合いました。学び合うと言っても昼間の仕事の疲れからそのまま居眠り授業になってしまったことが何度もありましたが、そんな時でも教えていただいた先生やクラスメートは優しく見守ってくれました」(静岡 田口)
☆☆ 田口様、お便りありがとうございました。私の母校にも定時制高校があり、夜体育館で私から見ればかなり大人の方々がバレーボールを楽しんでいるのを見た記憶があります。また社会人になってからも夜間の講座へ通い、うとうとしてしまったことが今は昔ですね。(主宰 映画で元気)
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【静岡の田口さんのオススメ映画「いつも心に太陽を」】
「学校モノの映画では、「いつも心に太陽を」が好きです。教師と生徒という人間同士の真剣なぶつかりあいに感動です」 (静岡 田口)
☆☆シドニー・ポワティエ主演の映画「いつも心に太陽を」は、私も大好きな映画です。ロンドンの下町風景の中、先生と生徒がたがいにわかり合えた瞬間がたまらないです。掲載の順番としまして、今現在は「か」行ですが、「あ」行が再度回ってきた時には(注)本メールマガジンでも取り上げたい候補です。(主宰 映画で元気)
(注)本メールマガジン:本ブログと同じ主旨の「メールマガジン映画で元気」を指します
「いつも心に太陽を」(いつもこころにたいようを):(To Sir With Love)
製作:1967年 アメリカ コロムビア映画配給
あらすじ:エンジニアの仕事を探していたサッカレイは貧民街の学校の教師の職を得た。新任教師として赴任したクラスは卒業を間近に控える高学年クラスだったが、生徒達はすべて、貧しさと問題を抱えた家庭に育ち、前任の教師をいじめぬいて追い出すほどの不良ばかりであった。相次ぐ生徒達の嫌がらせに、サッカレイは・・・。
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