NO.7「ウィル・ペニー」
<元気コメント>
無骨なカウボーイが、自身老いを感じつつもたくましく生き抜こうとする姿と、厳しい冬の寒さの中、子連れの人妻と狭い小屋の一つ屋根の下で過ごす中に、家庭団らんの暖かさをほのぼのと感じさせてくれ元気になりました。
<あらすじ>
少年時代から牧場の手伝いをし、牛をあつかうことにかけては、近在きっての腕のいいカウボーイとして知られるウィル・ペニー(チャールトン・ヘストン)は、ある日ダッチとブルーを連れて町に出かけたが、途中、クイントというならず者の一家とけんかしてしまった。このけんかでダッチーが重傷を負ったので、ウィルとブルーは近くの牧場にダッチーを運び、傷の手当てをした。その牧場には、カリフォルニアにいる夫に会いに行くというかザリン(ジョーン・ハケット)が、男の子を連れていて、ダッチーの手当てを手伝ってくれた。町に着くとウィルは、ダッチーを医師に預け、ブルーを町に残して、冬中の牧草の手入れをするため、草原に出かけた。この草原は、アレクスという男が管理しており、ウィルは、人里離れた小屋に冬の食糧を運ぶ仕事を頼まれた。その途中、ウィルはクイント一家に襲われ、馬と食糧と銃を奪われた。やっとの思いで小屋にたどり着いてウィルは、そこで吹雪に道をはばまれて避難していたカザリン母子に会った。カザリンは傷ついたウィルを手厚く看病した。ウィルは、生まれて初めて愛情の温かさを知った。だが、ウィルが小屋にいることを知ったクイントたちが、再び押しよせてきた。武器もなく、やっと元気をとり戻したばかりであるウィルは、彼らの言うままになるしかなかった。しかし、ウィルはクイントたちと争いやっと小屋を脱出した。ちょうどそこへブルーたちが救援に駆けつけ、クイント一味は倒された。牧場で冬を過ごすことになったカザリン母子は、ウィルに牧場に来るよう勧めた。カザリンはカリフォルニアに去った夫と別れ、ウィルと結婚する決心をしていた。だがウィルは、その申し出を断った。一生をカウボーイとして生きすでに50に近い。これからもカウボーイとして生きるほかはない。ウィルは、そう考えたのだった。アレクスに、自分がもらう金があれば、カザリンたちにやってくれと頼み、ウィルは立ち去った。泥によごれたウィルの顔に、涙が流れていた。(goo映画案内より)
<データ>
「ウィル・ペニー」
1967年アメリカ
監督:トム・グライス(Tom Gries)
出演:チャールトン・ヘストン(Charlton Heston)
ジョーン・ハケット(Joan Hackett)
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参考:チャールトン・ヘストン
生年:1924/10/04
出身地:アメリカ/イリノイ州エヴァンストン
本名はJohn Charles Carter。12歳の時に両親が離婚。母(旧姓チャールトン)が再婚し、義父の姓のヘストンを貰ってチャールトン・ヘストンと名乗るようになる。高校時代に学生劇に出演して演劇に興味を抱き、ノース・ウエスタン大学で演劇を専攻。44年には大学で知り合った演劇仲間の女学生リディアと結婚。直後に空軍に従軍して無線技師をする。除隊後に妻と共に劇団を旗揚げ。47年、ブロードウェイ・デビュー。やがてTVで活躍し始め、ハル・B・ウォリスに認められて50年「虐殺の街」でスクリーン・デビュー。その2年後に「地上最大のショウ」に出演。以降"ミケランジェロの彫刻のような素晴らしい肉体"とセシル・B・デミルに絶賛され、「十戒」、「ベン・ハー」などのスペクタクル大作や歴史劇のヒーローとして絶大なる人気を獲得。後記ではアカデミー主演賞に輝いてその後はスター街道を走り続ける事となった。66年からは俳優組合の会長に5年間就任。71年には「アントニーとクレオパトラ」で監督にも挑戦。俳優仲間からの人望も厚く、ハリウッドでの政治的リーダーとして強い影響力を示し、77年にはその功績からジーン・ハーショルト友愛賞を授与されている。98年からは全米ライフル協会の会長にもなった。近年も話題作への関わり合いが多い。ハリウッドの有名俳優としては珍しく離婚歴もなく、息子のフレイザーは監督になった。 (allcinema onlineより引用)
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